AIプロダクトの設計を、雰囲気で決めない

今日、仕事で少し大きめの意思決定があった。
詳しいことは書けないけれど、AIプロダクトの体験を、今までのある程度決まった流れに沿って進める形から、もう少しチャット型の体験に寄せていくような話だった。
この方向性自体に、強く反対しているわけではない。
むしろ、AIプロダクトを作っていると、チャット型の体験が強いことはかなりわかる。
ユーザーが自然な言葉で聞ける。
画面のどこを押すかを覚えなくてもいい。
「この場合どうすればいいですか」と聞いたら、それっぽく返ってくる。
これは、体験としてかなり強い。
業務システムっぽい画面に慣れていない人にとっては、ボタンやフォームやプルダウンが並んでいるより、チャット欄がひとつある方が入りやすいこともあると思う。
自分も普段、AIを使っていてそう思う。
何かを調べたり、文章を整理したり、ざっくり相談したりするとき、チャットという形はかなり便利だ。
ただ、今日の話を聞きながら、ずっと少し引っかかっていた。
「チャットに寄せる」という判断そのものよりも、
「チャットに寄せれば良くなる」という空気の方に、少し引っかかっていた。
AIプロダクトを作っていると、チャットはものすごく魅力的に見える。
何でも受け止めてくれそうに見える。
画面を複雑にしなくてもよさそうに見える。
ユーザーが自由に使えるように見える。
でも、自由に使えることと、使いやすいことはたぶん違う。
ユーザーは別に、AIと楽しくおしゃべりしたいわけではない。
仕事を進めたいだけだ。
必要な情報を見つけたい。
文章を作りたい。
判断材料を整理したい。
上司や同僚に説明できる状態にしたい。
できれば迷わず、できればミスなく、できれば面倒なことを減らしたい。
そこにチャットが合うこともある。
でも、合わないこともある。
たとえば、何を聞けばいいかわからない人にとって、チャット欄は意外と冷たい。
「なんでも聞いてください」と言われても、何を聞けばいいかわからない。
自由に入力できると言われても、自由すぎて困る。
AIが返してくれた答えがそれっぽくても、それを信じていいのかわからない。
チャット型の体験は、使い慣れている人には便利だけど、慣れていない人には案外むずかしい。
逆に、ワークフローのような決まった流れには、地味だけどちゃんと良さがある。
まずこれを入力してください。
次にここを確認してください。
最後にこの形で出力されます。
こういうレールがあると、少し窮屈ではある。
でも、迷わない。
特に業務の中では、この「迷わない」という価値はけっこう大きい。
自由度が高いことより、次に何をすればいいかがわかることの方が大事な場面がある。
きれいなUIより、手順が見えていることの方が安心につながる場面がある。
AIっぽさより、業務がちゃんと終わることの方が大事な場面がある。
ワークフローは、古いものではなく、仕事を前に進めるためのレールだったりする。
もちろん、そのレールが邪魔になることもある。
昔考えた流れが、今の使い方に合わなくなることもある。
作った当時は正しかったけど、今見ると違う、ということもある。
プロダクトは変わっていくものだから、それは仕方がない。
ただ、そこで大事なのは、
「なぜ変えるのか」だと思う。
なんとなく使いづらい。
なんとなくチャットの方が良さそう。
なんとなく今っぽい。
なんとなくユーザーもそっちを求めていそう。
この「なんとなく」は、最初の違和感としてはすごく大事だと思う。
プロダクトを見ていて、なんか違うな、と思う感覚は馬鹿にできない。
でも、そのまま意思決定にしてしまうのは怖い。
なんとなく使いづらいなら、誰が、どこで、どう使いづらいのか。
チャットの方が良さそうなら、どの作業がチャットで楽になるのか。
今の体験を変えるなら、何が良くなって、何が失われるのか。
そこまで見たい。
特に、すでに誰かが使っている体験を変えるときは、けっこう慎重でいたい。
使われている数が少ないから、価値がないとは限らない。
画面上では目立たないけど、特定の場面ではすごく大事に使われていることもある。
全体の割合で見ると小さくても、そのユーザーにとっては業務の一部になっていることもある。
プロダクトを作っていると、数字に出やすいものだけを見たくなる。
たくさん使われている機能。
クリックされている機能。
目立つ機能。
最近っぽい機能。
でも、本当に怖いのは、数字だけでは見えない使われ方を見落とすことだと思う。
その機能が好きだから使っているのか。
他に選択肢がないから使っているのか。
本当は使いづらいけど、業務上そこを通らないといけないから使っているのか。
少数だけど、その人たちにとってはかなり重要なのか。
このあたりを見ないまま、体験を大きく変えると、あとで変なところにひずみが出る。
AIプロダクトは、特にそこが怖い。
なぜなら、それっぽい改善案がすぐに出てしまうから。
チャットにしましょう。
AIエージェントっぽくしましょう。
ユーザーが自然文で操作できるようにしましょう。
裏側で自動的に判断して、いい感じに進めましょう。
言葉だけ聞くと、かなり良さそうに聞こえる。
会議でも通りやすい。
資料にも書きやすい。
なんなら少し未来感もある。
でも、実際に使う人の仕事を想像すると、そんなに簡単ではない。
AIが勝手に進めてくれるのは便利だけど、どこまで勝手にやっていいのか。
AIが提案してくれるのは便利だけど、間違っていたときに誰が気づくのか。
AIが文章を作ってくれるのは便利だけど、その根拠をどう確認するのか。
AIが判断材料をまとめてくれるのは便利だけど、それをそのまま使っていいのか。
こういう部分を考えずに、見た目だけチャット型にすると、便利そうだけど怖いものになる。
AIプロダクトは、賢そうに見えるものを作るのは前より簡単になった。
でも、安心して使えるものを作るのは、たぶん今でもかなり難しい。
むしろ、AIが賢そうに見える分だけ、設計の責任は重くなっている気がする。
普通のフォームなら、ユーザーは「これは自分が入力したものだ」とわかる。
普通の検索なら、ユーザーは「検索結果から自分で選んだ」とわかる。
でもAIは、途中をいい感じに隠してしまう。
それっぽく要約する。
それっぽく提案する。
それっぽく判断する。
それっぽく文章にする。
この「それっぽい」が強い。
だからこそ、どこで人間が確認するのかをちゃんと設計しないといけない。
AIに任せるところ。
人間が見るところ。
戻れるところ。
修正できるところ。
根拠を確認できるところ。
最終的に誰が責任を持つのかがわかるところ。
このあたりを後回しにすると、最初は速く作れても、あとで苦しくなる。
今日感じたのは、たぶんそういうことだった。
自分は、チャット型が嫌なわけではない。
AIエージェントっぽい体験が嫌なわけでもない。
昔作ったものをずっと残したいわけでもない。
むしろ、プロダクトは変わった方がいいと思っている。
使われ方が変われば、設計も変えるべきだと思う。
ただ、その変え方が雑だと、作っている側も使う側も少しずつしんどくなる。
特に、AIプロダクトは今、作れることがどんどん増えている。
前なら「それは難しいですね」で終わっていたことが、今は「やろうと思えばできます」になっている。
自然文で受け取れる。
検索できる。
要約できる。
分類できる。
提案できる。
それっぽく自動化できる。
できることが増えると、つい全部やりたくなる。
でも、全部やれるからといって、全部やるべきではない。
ここが難しい。
作れるものが少なかった時代は、技術的にできるかどうかが大きな壁だった。
でも、AIによってその壁が少し下がった。
すると今度は、
「何を作らないか」
「どこまで任せるか」
「どの体験を残すか」
「どの順番で変えるか」
みたいな判断の方が重くなる。
プロダクト作りの難しさが、実装から意思決定に少し移ってきている感じがある。
これは別に、PdMだけの話でも、エンジニアだけの話でもないと思う。
エンジニアも、作れるから作ります、では足りない。
PdMも、今っぽいからこうします、では足りない。
デザイナーも、画面としてきれいだから良い、だけでは足りない。
AIプロダクトでは、みんなが少しずつ踏み込まないといけない。
ユーザーの仕事を見て、
その中でAIが本当に入るべき場所を考えて、
人間が確認する場所を残して、
変える理由を言葉にして、
失うものもちゃんと見る。
こう書くと当たり前のことに見える。
でも、AIという言葉が入ると、この当たり前が少し飛ばされやすい。
「AIでできます」
「チャットでできます」
「自動化できます」
この言葉は強い。
強い言葉は、細かい設計を飲み込んでしまうことがある。
本当は、そこにたくさんの問いがあるはずなのに。
誰が使うのか。
いつ使うのか。
何を不安に思うのか。
どこで間違えるのか。
どこまで任せたいのか。
どこからは自分で確認したいのか。
既存のやり方の何が嫌で、何が助かっていたのか。
そういう細かい問いを飛ばして、AIっぽい体験に寄せてしまうと、見た目は新しくても、中身は雑になる。
今日、自分が少しモヤモヤしたのはそこだった。
大きな方針転換をするなら、もう少し材料がほしい。
もう少し、使っている人の顔が見える状態で決めたい。
もう少し、捨てるものの重さを見たい。
作った側の感情だけで言っているわけではない。
もちろん、少しはある。
時間をかけて作ってきたものが変わるとき、何も感じないわけではない。
でも、それ以上に、プロダクトとしてちゃんと決めたいと思った。
作ったものに愛着があるから残したい、ではなく、
残すなら残す理由がいる。
変えるなら変える理由がいる。
消すなら消す理由がいる。
そして、その理由は、できれば雰囲気ではなく、ユーザーの仕事から出てきていてほしい。
AIプロダクトの設計を、雰囲気で決めない。
今日はその言葉が、会議のあとにずっと頭に残っていた。
たぶんこれは、誰かを責めたいというより、自分へのメモに近い。
これから自分も、AIを使った機能をたくさん考えると思う。
そのときに、「それっぽいから」「作れそうだから」「流行っているから」で進めないようにしたい。
チャットにするなら、チャットにする理由を持つ。
ワークフローを残すなら、残す理由を持つ。
AIに任せるなら、どこで人間が戻れるかを考える。
機能を消すなら、誰が何に困るのかを見る。
地味だけど、たぶんそういうことの積み重ねでしか、ちゃんと使われるAIプロダクトにはならない。
AIは派手だけど、プロダクト作りはけっこう地味だ。
今日の結論は、たぶんそれくらいでいい。