分類と分業は、違う。

今日は、少し引っかかる出来事があった。
技術開発部のデザイナーに、名刺発注のような定型業務が任されていた。
それを見て、思わず「これは別にデザイナーじゃなくてもできるのでは」と言った。
もちろん、誰かが忙しいのはわかる。
やりたくない仕事があるのもわかる。
組織の中で、みんなが少しずつ助け合う必要があることもわかる。
ただ、そこで返ってきた反応は、少し論点がずれているように感じた。
「みんな忙しいんだから」
「やりたくないこともあるけど、みんな頑張っているんだから」
そういう話ではない気がした。
自分が気になったのは、誰が楽をしたいとか、誰がやりたくないとか、そういうことではない。
分類と分業を混同していないか、ということだった。
たとえば、デザイナーが開発組織の中にいるとして、
デザインの文脈から少し開発に踏み出す。
仕様を考えたり、画面の挙動を考えたり、実装に近いところまで関わったりする。
そういう「はみ出し方」は、むしろ良いと思う。
エンジニアも同じで、ただコードを書くのではなく、ユーザー体験や業務フローに踏み込むことがある。
それは、専門性の周辺にある領域へ広がっていく動きであって、価値がある。
でも、今回の話は少し違う。
誰でもできる定型業務を、たまたまそこにいる専門職の人に任せ続けることが、本当に良い分業なのか。
それは「助け合い」なのか。
それとも、ただ役割設計が曖昧なまま、空いているように見える人に仕事が流れているだけなのか。
専門職だからといって、専門外のことを一切やらなくていいとは思わない。
でも、専門性を活かすために採用され、配置されている人に対して、
「誰でもできることにも、もっとはみ出してこい」と言うのは、少し違和感がある。
人が足りないなら、人が足りないという問題として扱うべきだ。
業務が属人化しているなら、仕組みの問題として扱うべきだ。
定型業務なら、誰でも回せるようにするか、自動化するか、担当を整理するべきだ。
それを、個人の頑張りや感情の話にしてしまうと、論点がぼやける。
「みんな忙しい」は事実かもしれない。
でも、その事実だけで、仕事の置き場所が正当化されるわけではない。
むしろ忙しいからこそ、
誰が何をやるべきか。
どこまでが専門性のある仕事なのか。
どこからが単なる定型作業なのか。
そこをちゃんと分けて考えたほうがいい。
今日の気づきは、
役割を越境することと、何でも引き受けることは違う
ということだった。
越境は、専門性を広げるためにある。
何でも屋になるためではない。
組織の中で「助け合い」という言葉は便利だけど、
その言葉で、設計の甘さや業務整理の不足を包んでしまうこともある。
自分も気をつけたい。
誰かに仕事をお願いするとき、
それはその人の専門性を活かす依頼なのか。
それとも、ただ近くにいる人に流しているだけなのか。
そこを雑にしないことが、
たぶん、いいチームを作る上で大事なんだと思う。